宇奈月温泉物語。

北アルプスのふところに抱かれた峡谷のいで湯・宇奈月温泉。富山の奥座敷と 呼ばれるこの温泉は、湯温98℃、無色透明のお湯で、リューマチや関節痛など 運動器障害によく効くと言われている。

電源開発から生まれた一大温泉郷。

宇奈月温泉駅を降りると全国でも最大級の温泉噴水がある。 当地のシンボル的存在だ。かたや歴史上のシンボルといえば、トロッコ電車と 黒部川電気記念館であろう。これからも分かるように、富山県随一の温泉街・宇奈月は、 もともと電源開発の副産物として生まれた鄙びた温泉地だったのである。 年間31億トンもの雨や雪が降る黒部川を日本有数の電源開発地帯として目をつけ、 発電事業を提唱したのが、あのタカジアアスターゼの発明で知られる高峰譲吉博士であった。 大正7年(1920)。この時を転機に、名もなき秘境の荒れ地が一大温泉街へと生まれ変わった。 博士の計画を遂行した東大出の土木技師、のちに「黒部電源開発の父」と呼ばれた山田胖(ゆたか)は、 人ひとり住んでいなかったこの地に12キロも離れた黒薙(くろなぎ)から引き湯し、開発の全進基地 として温泉をつくった。

宇治と奈良と名月から命名。

宇奈月の地名は、当時の日本電力(現関西電力の前身)社長・山岡順太郎が名付け親。 もともとこの地がウナヅキ平と呼ばれていたものを、ある月のよい晩、彼は山田らと 温泉につかりながら、自分の好きな京都宇治の宇、奈良の奈をあて、それにその夜の名月を 組み合わせたらよかろうと言い出して決まったという。 宇奈月平の整地も終え、旅館宿舎や大浴場が立ち並び、黒部鉄道も全線竣工したのが 大正12年冬。以来、数々の電源開発とともに温泉事業も本格化。今日の宇奈月温泉が かたちづくられてきた。

V字峡谷を縫って渡るトロッコ電車。

当時、日本電力の専用鉄道だったトロッコ電車は、
昭和46年に黒部峡谷鉄道としてスタート。
初期の頃は「命の保証はしません」と切符に印刷しての
一般開放だったが、右へ左へと揺れ動く窓の無い
オープン客車は、黒部の大自然とじかに触れ合うことが
できるスリル満点の鉄道として話題を呼んだ。

秘境の新緑と紅葉の美しさは天下一品。

大小42のトンネルをくぐり、V字の深く切れ込んだ
峡谷を23の橋を渡り断崖にはりついて走る90分の
トロッコ電車の旅は、まさに宇奈月ならではの醍醐味だ。